ワークライフバランスが崩れていたのではありません。仕事が大きすぎました
踊り場からの再起動 #32|休職して初めて、仕事に人生を預けすぎると自分を支える土台が消えていくこと、その土台が何だったのかが少し見えてきました。
前回の記事では、
休職して見えてきた
「ワークライクバランス」について書きました。
「やるべきこと」だけが残って、
「やりたいこと」や「できること」が
消えていく。
あの感覚が、
ぼくをかなり静かに
消耗させていたのだと思います。
そして今回は、
その続きです。
ワークライクバランスの次に見えてきたのは、
ワークライフバランスのほうでした。
最近、
仕事以外に何をしていたか
思い出せますか。
ぼくは休職して初めて、
気づきました。
ワークライフバランスが崩れていたのでは
ありません。
仕事が、
大きくなりすぎていました。
生活の中に仕事があるのではなく、
仕事の中に、かろうじて生活を
押し込めていた。
そんな状態だったのだと思います。
止まってみて初めて、
わかりました。
仕事の外にあった時間は、
ただの余暇ではありませんでした。
ぼくを支える、
土台でした。
今日は、
そのことを書いてみます。
休職前のぼくは、かなりきれいに仕事へ寄り切っていました
休職する前のぼくは、
かなり仕事中心の生活をしていました。
朝はまだ暗いうちに起きて、
家で少し作業をしてから出かける。
早い時間に着いて、
そこからまた資料を作る。
日中は、
打ち合わせや判断が続く。
夜は遅くまで残って、
家に帰るのはかなり遅い。
平日に終わらなかったものを、
土日で取り返そうとする。
休みの日まで、
ずっと頭のどこかに仕事が
ありました。
今なら、
はっきり言えます。
あれはワークライフバランスでは
ありませんでした。
ほとんど
「ワークワークバランス」です。
子どもと過ごす時間は、
できるだけ取りたいと
思っていました。
でも、
時間を取っていても、
心までちゃんとそこに置けていたかというと、
正直かなり怪しいです。
身体はいても、
頭は別の場所にある。
たぶんこの記事を読んでいる人の中にも、
似た感覚がある人は
いるはずです。
家には帰っている。
休みも取っている。
でも、
仕事の外にまで、
仕事がずっと残っている。
もしそうなら、
かなり危ないです。
崩れていたのは、時間の配分だけではありませんでした
今振り返ると、
崩れていたのは
スケジュールだけではありません。
睡眠も、食事も、体調も、気力も、
かなり削れていました。
身体は、
かなりわかりやすく
サインを出していました。
でも当時のぼくは、
それを「今はそういう時期だから」で
処理していた気がします。
危ないのは、
ここです。
人は限界に近づくほど、
異常を日常に
変換し始めます。
余白がないことを、
普通だと思い始めるんです。
しかも、
しんどい時ほど
視野が狭くなります。
それでも、
外から見ると
仕事をしているようには見える。
だから、
自分でもまだやれていると
勘違いしやすいです。
ぼくもそうでした。
そしてもうひとつ大きかったのは、
人にちゃんと
相談できなかったことです。
違和感はありました。
このままではまずいかもしれない、
という感覚もありました。
でも、
その段階で
アラートを上げきれませんでした。
相談したら
評価が下がるのではないか。
迷惑をかけるのではないか。
そんな気持ちが、
かなりありました。
今なら、
そこが分岐点だったと思います。
仕事が大きくなりすぎると、
時間だけではなく、
相談する力まで奪われる。
これは、
かなり怖いことです。
止まってから、自然と戻ってきたものがありました
休職して最初から
元気だったわけではありません。
むしろ最初は、
かなりぼんやりしていました。
時間はあるのに、
何をしたいのかが
うまくわからない。
休めばすぐ整う、
という感じでもありませんでした。
それでも、
少しずつ自然と
手が伸びたものがありました。
ひとつはAIです。
新しいツールを触るのは、
やはりおもしろかったです。
ただ、
AIそのものを目的にすると、
途中で苦しくなることもわかりました。
AIは手段です。
Substackを書く。
ゲームを作る。
誰かの作業を
少し楽にする。
そういう行き先があると、
AIはちゃんと
楽しくなりました。
人と会うことも、
身体を動かすことも、
子どもと会う時間も、
そうでした。
こういうものは、
以前のぼくにとっては
「余裕があればやること」
だったのかもしれません。
でも今は、
違います。
これらがあるから、
働ける。
働いたあとにやるものではなく、
働き続けるために
必要なものだったのです。
余暇ではありません。
ぼくをぼくのまま保つための、
装置でした。
AIも、Substackも、
ゲーム制作も、
子どもと会う時間も、運動も、
人と会うことも。
ただ楽しいことが
並んでいるのでは
ありませんでした。
それが残っていたから、
ぼくは全部を
失わずに済んだのだと思います。
元気になってきたことと、仕事に戻れることは別でした
ここは、
今回かなり大きかった気づきです。
休職してから、
ぼくは少しずつ
動けるようになってきました。
家事もできる。
発信もできる。
人とも会える。
新しいことを試す元気もあります。
でも、
それでそのまま仕事に戻れるかというと、
話は別でした。
会社のことを思い出すと、
今でもざわつきます。
身体が先に
反応する感じがあります。
日常生活を送れることと、
仕事の文脈に耐えられることは、
ぼくの中では
まだ同じではありませんでした。
たぶん刺さっているのは、
業務量だけではありません。
人間関係や役割の変化や、
うまく噛み合わなかった空気も含めて、
身体に残っているのだと思います。
元気が出てきたから大丈夫、
ではないです。
家事ができるから大丈夫、
でもない。
このズレを無視すると、
また同じ場所に
戻ってしまいます。
今のぼくにとってのバランスは、半分ずつではありません
ワークライフバランスという言葉を聞くと、
仕事と生活をきれいに半分ずつに分ける話に
聞こえることがあります。
でも、
ぼくは今、
そうは思っていません。
大事なのは比率よりも、
仕事が大きくなりすぎていないか
どうかです。
そして、
仕事の外にある大事なものを、
ちゃんと先に守れているかどうかです。
朝の時間。
土日の時間。
子どもと会う時間。
身体を整える時間。
書く時間。
作る時間。
こういうものがなくなると、
ぼくはたぶん、
また簡単に傾きます。
逆に言うと、
こういうものが残っていると、
仕事も少し健全に
見られる気がします。
ただ、
もう仕事に全部を預ける形には
戻りたくありません。
今思うと、
ぼくは仕事をしている自分しか、
うまく持てていなかったのかもしれません。
組織の中で
役割を果たしていること。
会社にいること。
誰かの役に立っていること。
そのあたりが、
自分の価値の大部分に
なっていました。
だから仕事が傾いた時に、
仕事だけではなく、
自分ごと傾いてしまったのだと思います。
アイデンティティの全部を、
ひとつの所属先に乗せるのは危ういです。
今のぼくが目指したいのは、仕事以外の自分が残る働き方です
今のぼくにとって理想なのは、
仕事だけで人生が埋まらない状態です。
仕事をして、
家に帰って、
少し疲れていても、
自分の時間がまだ残っている。
朝に少し書ける。
休日にちゃんと回復できる。
無理のないペースで、
個人活動も続けられる。
そういう状態を、
目指したいです。
完璧な答えは、
まだありません。
でも、
少なくとも前のままではだめだった。
それだけは、
かなりはっきりしています。
ぼく自身まだ答えの途中ですが、
もし似た感覚があるなら、
一度だけ考えてみてほしいです。
あなたの生活の中で、
仕事の外に残しておきたいものは
何ですか。
それは、
ただの余暇ではないかもしれません。
もしかしたら、
それがあなたを守る土台かもしれません。
もしよかったら、
教えてください。
あなたにとって、
仕事の外で
「これがなくなると危ない」と思うものは
何ですか。
ぼくは今、
その土台を少しずつ
作り直している途中です。





私は仕事以外で大切にしているもの、なくなると危ないものは、こんな感じです
・最低週1回はサーフィンして、陸の上の価値観から離れる
・毎週スケートボードして、新しいトリックの練習を同じ趣味の仲間たちと楽しむ
・妻を大切にする時間を持つ
・家族を大切にする時間を持つ(子供とトレカで遊ぶなど)
・キャリアアップのため、自分自身に蓄積するスキルを磨く(1日2時間のオンライン英会話とか)
・毎週サウナに行く
・たまにはオフラインイベントに参加して、職場以外の価値観に触れる
・ワクワクする海外転職活動に挑戦する
これがなくなると危ない!っていう確固たるこれはないですが
「頭で考えずに夢中になれる時間」かなって思いました。今は子供たちと一緒に全力で公園で遊んだりする時間だったりします!