この半年で、失ったものより戻ってきたもののほうが多かったです
踊り場からの再起動 #38|2026年前半は、失ったものを数えるより、戻ってきたものを見つけ直した半年でした。
半年前のぼくは、
足りないものを増やそうとしていました。
もっと結果を出して、
もっと整えて、
もっと前へ進まないといけない。
そんな気持ちがかなり強かったです。
でも今のぼくは、
少し違う場所にいます。
この半年は、
何かをきれいに積み上げた半年ではありませんでした。
むしろ逆です。
削られて、立ち止まって、
それでも何がまだ自分に残っているのかを確かめた半年でした。
今のぼくは、
足りないものを追いかけるより先に、
まだ残っているものを確かめながら歩きたいと思っています。
年始のぼくは、
本業でも結果を出して、
発信も生活もちゃんと整えていこうと思っていました。
運動も続ける。
夜更かしも減らす。
大切な人との時間も守る。
そんなふうに、
いろいろなものを全部ちゃんと前に進めたかったのだと思います。
その気持ち自体は本物でした。
でも今振り返ると、
その時点ですでに少し無理が混ざっていたのだと思います。
やりたいことは前向きでしたが、
自分の余白や回復力を見ないまま予定を積んでいた感じもあります。
頑張る前提で全部を組み立てていて、
崩れたときの逃げ道をほとんど用意していませんでした。

いちばんきつかったのは、会社へ戻るのが怖くなった頃でした
いちばんしんどかったのは、1月後半でした。
来年度をどうしていくかを決める中で、
上とうまく意見が合わず、
下からも問いを向けられ、
ぼくはかなり追い込まれていきました。
人に頼ることもできず、
自分が決めなければいけないと背負い込みすぎて、
会社へ戻ること自体が怖くなっていきました。
今でも覚えているのは、
気分転換のつもりで外に出たあと、
戻るのがつらすぎて、
ベンチでしばらくうずくまっていたことです。
あの時間が、
ひとつの限界だった気がします。
休みに入ったあとも、
すぐ楽になったわけではありませんでした。
動悸や頭のノイズもありましたし、
会社を休んでいることへの後ろめたさもかなり強かったです。
離れたあとに何が残るのか。
これからどうすればいいのか。
その時点では全然わかりませんでした。
手放したのは、仕事だけではありませんでした
この半年で手放したものを考えると、
まず最初に出てくるのは仕事です。
手放したのか、
離れていったのか、
逃げるしかなかったのか。
言い方はまだ定まりません。
でも少なくとも、
いちばん大きかったものが、
いったん自分の手元から離れたのは確かです。
それ以外にも、
年始から手放すことを決めていたダンススクールを
実際に退会しました。
すごく好きでしたし、
今でも行けば楽しいと思います。
でも、
当時のぼくの生活にはもう合わなくなっていました。
好きだから続ける、では支えきれない時期がある。
そのことを認めたのも、この半年でした。
さらに大きかったのは、
無理をすることを少しずつ手放し始めたことです。
睡眠を優先すること。
ちゃんと三食、食べること。
ざわついたら止まること。
弱音を吐くこと。
そういう基本を、
ぼくはずいぶん軽く扱っていたのだと思います。
前のぼくは、
無理をしながらでも前へ進むことに価値を置いていました。
でも今は、
無理をしないことそのものが技術なのだと感じています。
逆に、なくなっていなかったものもありました
でもその一方で、
なくなっていなかったものもありました。
それが、
ものづくりです。
休みに入った直後から、
完全に元気だったわけではありません。
それでも、
作りたいものを作る時間だけは、
不思議と少し楽しかったです。
不思議でした。
会社のことは考えたくないのに、
AIで何かを作る時間だけは、
自然と手が動いていました。
小さな不便を減らす仕組みを作ったり、
書くための環境を整えたりしている時間だけは、
少し呼吸が戻る感じがありました。
ぼくはやはり、
ものを作ることが好きなのだと思います。
そして、
人の役に立つものを形にすることも、
かなり好きなのだと思います。
Substackは、回復の記録であると同時に回復そのものでした
5月から6月にかけては、
その感覚がかなりはっきりしてきました。
Substackを毎日書き始めて、
そのための環境も整え、
必要な仕組みも作る。
その流れが、
生活の骨組みになっていきました。
7月1日時点で、
記事は番付に44本掲載、購読者は234人になりました。

目標にしていた200人も超えましたし、
直近30日だけで84人増えています。
数字だけ見ても本当にありがたいです。
でも、
この半年でぼくにとって大きかったのは、
数字そのものではありません。
書くことと作ることが、
そのまま回復につながったことです。
発信が仕事の代わりになったというより、
自分の呼吸を整える営みになっていました。
読んでもらえること。
返事をもらえること。
静かに反応してもらえること。
同じような経験をした人が、
そっと声をかけてくれること。
それらが全部、
ぼくを少しずつ立て直してくれたのだと思います。
発信は、
仕事の穴埋めではありませんでした。
もっと手前で、
毎日の呼吸を整えるための習慣になっていました。
仕事の見え方は、かなり変わりました
仕事の見え方も、かなり変わりました。
立ち止まって振り返ると、
後半はかなりひどい働き方をしていたのだと思います。
今の感覚で見れば、
そりゃ倒れるよな、としか言えません。
そこでようやく、
健康や生活を一丁目一番地に置かないといけないのだと腹落ちしました。
仕事そのものが悪かったというより、
自分の土台が崩れているのに、そのまま走り続けたのがまずかったのだと思います。
挑戦することと、
無理をすることは違います。
成長したい気持ちと、
自分を削ることも同じではありません。
ひたすら小さく作り続けてみて、
ぼくは事業全体を動かすこと以上に、
現場で作ることのほうが好きなのかもしれないとも感じました。
もちろん、
ひとりで何かをやるなら、
ビジネスのことも考えないといけません。
でも少なくとも、
どこで自分の気持ちが自然に動くのかは、
前よりかなり見えるようになりました。
1月のぼくに言うなら、まずは寝て、食べて、頼りなさいです
もし1月のぼくに一言だけかけるなら、
ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、
もっと周りを頼りなさい、です。
弱音を吐いていいですし、
断ってもいいですし、
いったん止まってもよかったのだと思います。
半年前のぼくは、
休職したら何も残らないのではないかと、
どこかで思っていました。
でも実際には違いました。
作ることも、
書くことも、
人とつながることも、
思っていた以上に残っていました。
休んだから消えたのではなく、
休んだから見つけ直せたものもあったのだと思います。
そう考えると、
この半年は失ったものを数える半年ではなく、
戻ってきたものを見つけ直す半年だったのかもしれません。
ものづくりの楽しさ。
人の役に立てるとうれしい感覚。
書くことで呼吸が整う感じ。
安心できる場所や人に、ちゃんと救われること。
そういうものを、
後半戦の土台として大事にしたいです。
焦って証明しようとは思っていません。
戻ってきた感覚を雑に扱わず、
ちゃんと育てながら進みたいです。
後半戦は、無理をせず、それでも挑戦は続けたいです
後半も、
無理はしないけれど、
挑戦は続けたいと思っています。
特に今は、
アプリやゲームをもう少し作っていきたい気持ちがあります。
せっかく少しずつ手応えが戻ってきたので、
この流れの中で、
作る力をもう一段育てていきたいです。
戻ってきたものを確かめながら、
少しずつ前へ進んでいきたいです。
休んでいるあいだにも、
自分の中に材料は残っていました。
何もなくなったと思っていたけれど、
拾い直してみたら、意外と残っていたのです。
よかったらみなさんはこの半年で、
何を手放して、
何がまだ自分に残っていると感じましたか。
返信で教えてもらえたらうれしいです。




おぉ...。
状況だけではなく、時期的にもかなり近いタイミングで再起動に入られていたんですね。
益々わかりみMAXでございます。
『手放せば始まる』
これは僕が勝手に師匠と想ってる真子さんの言葉です。
(2時間超の凄く長いプレゼンがあります💦 最後泣きそうになります)
今までルクさんが背負ってきた重荷を一旦脇に置いて、
考えた上で、置いたものを再度背負うのか、別のリュック・中身を背負って進むのか...。
その貴重なタイミングなのだと今は少しずつ思えてきています。
この投稿の様に、日々だったり中長期での自身の移り変わりを言語化すること。
本当に大事だとつくづく想うこの頃です。
(ジャーナリング、メモ書き、からの言語化...AI時代にも超重要な生涯スキルだと想います)