母の病室で、自分の原点を思い出した
踊り場からの再起動 #14
母のお見舞いに行ってきました。
行く前のぼくは、
そこまで強く緊張していたわけではありませんでした。
大きな命の心配がある手術ではないと聞いていましたし、
手術も無事に終わって、もうリハビリが始まっているという話も聞いていたからです。
むしろ、
少しでも励ましになればいいな、くらいの気持ちで向かっていました。
その日は、
病院の近くにある神社にも寄りたくて、
自転車で片道25キロ走ってから向かいました。
せっかく行くなら、
そちらもあわせて回ろう。
そんなふうに、
どこか少しのんきでもありました。
でも、
病室で受け取ったものは、
思っていたよりずっと大きかったです。
病室でまず感じたのは、安心でした
病室で会った母は、
思っていた以上に明るかったです。
病院らしい格好はしていましたし、
歩くときにはまだ補助も必要でした。
でも、
顔色も表情も悪くありませんでした。
何より大きかったのは、
ずっと苦しんでいた痛みがなくなったと聞けたことです。
もちろん、
手術したあとの痛みはまだある。
でも、
長く続いていたあの痛みはもうない。
その言葉を聞けたことで、
ぼくはまずすごく安心しました。
良かった。
本当に良かった。
最初に出てきたのは、
たぶんその気持ちでした。
病室に入って数分もしないうちに、写真を撮ろうよと言われました
病室に入って、
少し話したあとだったと思います。
母はわりと自然に、
「写真撮ろうよ」
と言いました。
その一言で、
ぼくは少し力が抜けました。
ああ、
思っていたよりずっと元気そうだ。
ちゃんといつもの母がいる。
そんなふうに感じたからです。
iPadのことも少し聞かれて、
いつものようにちょっと触って見せたりもしました。
面会時間は20分くらいだったので、
何か深い話をたくさんしたわけではありません。
子どもの話をしたり、
ぼくが自転車で来た話をしたり、
来週の屋久島の話をしたり。
そんな、
わりと普通の会話をしていました。
でも、
ぼくの中にはその普通さが強く残りました。
病室で、
手術のあとで、
まだ歩くのも大変な時期なのに、
ちゃんといつもの空気がある。
無理に元気そうに振る舞っていたという感じではなく、
ああ、この人はこういうときも母のままなのだな、という感じでした。
それが、
ぼくにはすごく強く見えました。
いちばん強く残ったのは、「見つかってよかった」という言葉でした
今回の手術まで、
母は長いこと足の痛みを抱えていました。
かなりつらかったはずです。
歩くのもしんどそうでしたし、
家から出るのも大変そうでした。
もしその状態がもっと長く続いていたら、
気持ちまで折れてしまってもおかしくなかったのではないか。
ぼくはそんなふうにも思っていました。
もちろん、
もっと早くわかればよかった、
という気持ちはあったと思います。
実際、
少しこぼす場面もあったのだと思います。
でも最後は、
「見つかってよかった」
「ちゃんと手術できてよかった」
というほうへ向いていました。
1年近く苦しんでいた人が、
そこでその言葉を選ぶ。
ぼくはそこに、
母の強さがいちばんよく出ている気がしました。
ただ我慢強い、というだけではありません。
起きたことを恨み続けるのではなく、
今ある前進のほうをちゃんと見ている。
その姿勢が、
今のぼくには深く残りました。
しかも今は、
リハビリもかなり一生懸命やっているそうです。
ぼくはその話を聞きながら、
ただ立派だなと思ったというより、
ああ、この人は本当に強いのだなあと、あらためて感じていました。
前から知っていたはずなのに、
病室で見るその強さは、
少し違う重さで胸に残りました。
だからこそ、自分の弱さも少し見えました
その強さを見ていると、
ぼくは今、まだ少し弱っている途中なのだなとも感じました。
しょうがないことではあります。
でもやっぱり、
ざわざわする日もあるし、
前ならもっと自然にできていたことが重く感じる日もあります。
そういう自分と比べると、
母のへこたれなさや明るさは、
今のぼくにはなおさらまぶしく見えました。
ただ、
それは落ち込む材料になったわけではありませんでした。
むしろ少し、
背筋が伸びる感じがありました。
見習いたい。
いや、
たぶん昔のぼくは、
もう少しそういう見方ができていたのかもしれません。
そんなふうに思えたのです。
ぼくは、もともと前向きな言葉をもらって育ちました
母は昔から、
ぼくによく言ってくれていました。
あなたは運がいい。
恵まれている。
幸運なほうへ向かっていく人だ。
子どもの頃から、
そういう言葉を何度ももらってきました。
だからなのか、
ぼくの中にはもともと、
自分はなんとかなるほうだという感覚があった気がします。
もちろん、
いつでも楽観的だったわけではありません。
でも、
世界を少し明るいほうから見る感じは、
たしかに持っていたと思います。
今は少し弱っていて、
その感覚が前より薄くなっていました。
でも今回、
病室で母を見ていたら、
ああ、その感覚は完全になくなったわけではないのかもしれないと少し思えました。
母の強さを見て、
ぼくは自分の中にあった前向きさの源流みたいなものを、
少し思い出したのだと思います。
今の時間も、不幸だけではないのかもしれません
今のぼくは、
思い通りにいっていないこともあります。
まだ戻れていないものもあります。
でも一方で、
こうして時間があり、
自分のことを見つめ直す余白がある。
それも見方によっては、
不幸だけではないのかもしれない。
そんなことも、
今回あらためて感じました。
無理に前向きな意味づけをしたいわけではありません。
ただ、
母を見ていると、
同じ状況でもどこを見るかで見え方はずいぶん変わるのだなと思います。
そしてたぶん、
ぼくの中にもまだ、
そういう見方をする力は残っています。
今はそれを、
少しずつ取り戻している途中なのかもしれません。
母の病室で、自分の原点を思い出しました
見舞いに行ったつもりでした。
でも、
病室で何かを受け取っていたのは、
たぶんぼくのほうだったのだと思います。
弱っている姿を見たのに、
ぼくの中に残ったのは不安だけではありませんでした。
むしろ、
ああ、この人は本当に強いのだなあという静かな驚きでした。
そしてその強さは、
今のぼくが少し忘れかけていたものまで、
思い出させてくれました。
母が強かった、で終わる話ではなく、
その強さにふれて、
ぼくは自分の原点を少し思い出した。
今回のことは、
そんな時間だったのだと思います。
みなさんにも、
誰かの強さにふれて、
自分の中の何かを少し思い出したことはあるでしょうか。
よければコメントで教えてください。




お母さんへの優しさが伝わってきました。
すてきなママさん💖
手術成功おめでとうございます🎉
こどもたちの原点になれるよう私もポジティブな声がけ心がけようと思います!