仕事のことを考えても、今日は前ほどザワつきませんでした
踊り場からの再起動 #37|バイクで四国を走りながら仕事のことを思い出したのに、前のような強いざわつきは来ませんでした。回復のサインは、こういう小さな変化で現れるのかもしれません。
徳島の街を走っていたとき、
ふと仕事のことを思い出しました。
この1、2年のあいだに、
仕事で来たことのある場所を通ったからです。
ああ、ここ来たな。
あのときはこんなメンバーだったな。
あんな話をしたな。
そんなふうに、
記憶が自然に戻ってきました。
少し前のぼくだったら、
ここから一気にざわついていたと思います。
頭の中が落ち着かなくなって、
ネガティブな連想が止まらなくなって、
その日がかなりしんどくなる。
実際、少し前には、
仕事に直接つながる情報を見ただけで、
想像以上に調子が崩れた日もありました。
頭がざわついて、
動悸がして、
そのあとほとんど何も手につかなくなった日です。
だから今回も、
似たようなことになるかもしれないと思っていました。
でも、昨日は違いました。
仕事のことを思い出しても、
前ほど強く引っ張られませんでした。
もちろん、
完全に無反応だったわけではありません。
今こうして書きながら思い出すと、
少しドキッとする感じはあります。
でも、あの独特の
「頭のざわざわが止まらない感じ」は、
かなり薄かったです。
バイクを走らせながら、
ぼくはその違いを自分でちゃんと感じていました。
ヘルメットの中で、
ぼくは何度も
「あれ?」
と思っていました。
信号待ちのたびに、
「さっき仕事のことを考えたのに、まだ平気だな」
と、自分の反応を確かめていました。
「あれ、前より平気かもしれない」
そんなふうに思えたのです。
きっかけは、仕事を思い出させる風景でした
今回おもしろかったのは、
自分から無理に仕事を考えたわけではなかったことです。
徳島に入って、
見覚えのある景色を見たときに、
自然に思い出しました。
たぶんこういうのが、
回復の現在地を測るにはいちばん正直なのだと思います。
避けようと思えば避けられる話ではなくて、
景色や空気や移動の流れの中で、
勝手に記憶がつながってしまう。
そういう瞬間に、
自分がどう反応するかです。
ぼくが思い出したのは、
一緒に動いていた人たちのことや、
そのとき扱っていた仕事のことでした。
前だったら、
そこから人間関係のしんどさや、
いろいろな感情まで一気に引っ張り出されていたと思います。
でも今回は、
ただの連想のまま通り過ぎていく感じがありました。
そこに、
ぼくは小さな変化を感じました。
回復というのは、急に元気になることではないのかもしれません
最近のぼくは、
少しずつ調子が戻ってきた感じがあります。
外にも出られる。
人にも会える。
予定も入れられる。
食べ方を整えるために、
自分で作ったアプリを使いながら、
ゆっくり噛んで食べることも続けています。
朝の散歩も、
前よりちゃんと取り入れています。
そういう積み重ねがある中で、
少しずつ上向いている感じはありました。
ただ、
仕事のことだけは別の傷口みたいだな、
という感覚もずっとありました。
日常生活の元気と、
仕事に触れたときの反応は、
同じではない。
これは前にも何度か感じていました。
だからこそ今回、
仕事の記憶に触れたのに、
前ほど強くざわつかなかったことが、
ぼくにはかなり大きかったです。
回復というのは、
昨日までできなかったことが
今日いきなり全部できるようになることではないのかもしれません。
むしろ、
前までしんどかったものに触れたとき、
反応が少し変わっている。
その小さな変化のほうが、
本当のサインなのかもしれません。
もちろん、もう大丈夫だと言いたいわけではありません
ここは大事です。
ぼくはまだ、
完全に回復したとは思っていません。
たぶんまた波は来ます。
実際、少し前にも
仕事に触れたことで大きく崩れた日がありましたし、
今回だって条件が違えばどうなるかは分かりません。
仕事に直接つながる人と会ったらどうか。
もっと生々しい文脈に入ったらどうか。
そのへんは、
まだ未知数です。
でも、
未知数だから意味がないわけではありません。
昨日のぼくは、
確かに前より平気でした。
胸が少しキュッとする感じはあっても、
そのままネガティブな沼に落ちていくことはなかったです。
この差は、
今のぼくにとってかなり大きいです。
うれしさのほうが、
不安より少し勝っていました。
「だいぶ回復してきたのかもしれない」
そう思えたのは、
かなり久しぶりだった気がします。
何が効いているのかは、正直まだよく分かりません
時間が解決してくれているのかもしれません。
薬の力もあると思います。
外に出たり、
人に会ったり、
書いたりしてきたことの積み重ねかもしれません。
旅の途中だったことも、
大きかったのかもしれません。
四国を走っていると、
いつもの生活圏から少し離れた場所で、
自分のことを他人みたいに見やすくなる感じがあります。
ただ家で考え込むのではなく、
風を受けながら移動している途中だったからこそ、
反応の違いにも気づけたのかもしれません。
ひとつ、
自分の中にある感覚を無理やり言葉にするなら、
脳の中で切れかけていた線が、
少しずつつながり直してきた感じです。
頭の回転が戻ってきて、
幸せとか安心につながる回線が、
前より少し太くなってきたような感覚があります。
もちろんこれは、
医学的に正しい説明ではないと思います。
でも、
ぼくの実感としてはかなり近いです。
前は、
何か仕事につながるものに触れると、
その線がすぐショートする感じがありました。
昨日は、
そこまで行かなかった。
それがとても大きかったです。
回復のサインは、案外こういう形で来るのかもしれません
もし読者にひとつ渡すなら、
回復のサインは、
急に元気になることではないのかもしれない、
ということです。
前なら苦しかったことに、
少しだけ平気で触れられる。
前ならざわついていた場面で、
今日はそこまで崩れない。
そういう小さな違いが、
実はかなり大きいのかもしれません。
ぼく自身、
まだ途中です。
またしんどい日を書くこともあると思います。
でも昨日は、
その山あり谷ありの線が、
少しずつ上を向いている感じを持てた日でした。
回復というのは、
まっすぐ右肩上がりで進むものではなくて、
揺れながらも少しずつ反応が変わっていくことなのかもしれません。
今日はそのことを、
バイクの上で少しだけ実感できました。
四国まで走ってきた意味は、
景色を見られたことだけではありませんでした。
仕事を思い出したときの自分の反応を、
思っていたより落ち着いて確かめられたこと。
ぼくにとっては、
それがいちばん大きかったです。
もし最近、
前なら苦しかったことに少しだけ触れられる瞬間があるなら、
その変化を、見逃さないでください。
回復は、
案外そういうところから始まるのかもしれません。




見覚えのある風景でも、今見ると違って感じことで自分の「変化」に気づけますよね!
故郷の景色も、たまに戻ると外時々で違う感情が湧いてきます。
先ずは、ある程度受け入れる心の余裕が出てきたのが何よりですね。
人にもよるし、仕事にもよると思いますが、回復して仕事に復帰しても前とは別の見え方になるのではと思います。
それは後退したとか弱くなったのではなく、折れた骨がくっついたら前より太くなるように、心のレジリエンスが強化されていく一面を感じたのかもしれませんね。