樹齢3000年の木を前にして、46年を考えた日
踊り場からの再起動 #18
樹齢3000年の木の前に立つと、
自分の46年はずいぶん短く見えます。
でも、
短いからといって、
何もないわけではないのだと思いました。
ちゃんと生きてきた時間がある。
ちゃんと積み重なってきたものがある。
今日はそんなことを、
屋久島の森の中で考えていました。
予定どおりではなかったけれど、ちゃんと一日は動いていました
今日は南のほうから西へ向かって、
大川の滝へ行きました。
東は晴れているのに、
西へ向かうと雨が降っている。
同じ島の中なのに、天気がまるで別物でした。
屋久島はやっぱり屋久島です。
大川の滝は、とにかく圧倒的でした。
高さもそうですし、
水の勢いもすごかったです。
ただ「きれい」というより、
少し怖いくらいの迫力がありました。
そのあと北へ向かって、
西部林道を通りました。
ちょうど昨日まで通行止めだった場所が、
ぼくが行ったタイミングで解除されていました。
こういう偶然も、旅にはあります。
猿がいて、鹿がいて、
西へ向かうほど緑がどんどん濃くなっていく。
見渡しても、
緑、緑、緑でした。
本当なら白谷に行けないことばかり考えて、
こういう景色も薄くなっていたかもしれません。
でも今日は、
途中で少しだけ持ち直せました。
せっかくの旅なのに、別のことを考えていました
バイクに乗っていると、
いろいろ考えてしまいます。
白谷は開くのだろうか。
この旅で行けないまま終わるのではないか。
未来のことが気になりました。
しかも、その流れで、
会社のことや、うまくいかなかった時期のことまで思い出していました。
せっかく屋久島を走っているのに、
頭の中は屋久島の外にありました。
それは、少しもったいなかったです。
昨日の記事で、
屋久島に来たら一日が長くなったと書きました。
でも今日は、
その長い時間をちゃんと受け取る前に、
自分から焦りで埋めようとしていました。
今に集中しようと思ったら、景色がまた入ってきました
転換点は、
西部林道を走っているときでした。
また未来のことを考えているなと思いました。
しかも、もう考えても仕方がないことばかりです。
それで、深呼吸をしました。
今に集中しよう。
せっかく来たのだから、今をちゃんと見よう。
そんなふうに自分に言い聞かせながら、
何度か呼吸を整えました。
すると、
少しだけ景色の見え方が変わりました。
顔を上げると、
山の濃さや、空気の湿り気や、
道の先に続く緑がちゃんと入ってきます。
もちろん、
全部がきれいに切り替わったわけではありません。
道には枝も落ちていましたし、
足場の悪い場所では景色より足元を見なければ危ない場面もありました。
ヤクスギランドを歩いているときも、
後半はかなりきつくて、
正直、のんびり絶景を味わうだけという感じではありませんでした。
それでも、
なるべく上を向いて、
今あるものを見ようとしたことには意味があった気がします。
行くはずではなかった場所が、今日いちばん残りました
白谷に行けなかったので、
空いていたヤクスギランドへ向かいました。
予定外でした。
でも終わってみると、
今日いちばん印象に残った場所になりました。
向かう途中の景色もすごかったです。
山も見えて、海も見えて、
高い場所からの風景に少し怖さを感じるくらいでした。
でも、そのぶん圧倒されました。
ヤクスギランド自体も、
思っていた以上にきつかったです。
210分コースは普通に汗だくになりました。
でも、そのぶん登りがいもありました。
明日の縄文杉の予行練習にもなった気がしますし、
いろいろな屋久杉を見られたのもすごく良かったです。
行けなかった場所ばかり見ていたら、
たぶんこの時間の価値は受け取れなかったはずです。
樹齢3000年の木を前にすると、自分の悩みはかなり小さく見えました
今日いちばん強く残ったのは、
屋久杉の時間の長さでした。
樹齢2600年とか、3000年とか、
そういう数字を見ると、まず単純に圧倒されます。
その前に立っていると、
ぼくの46年なんて本当に小さいなと思いました。
これは、悪い意味ではありません。
むしろ少し救われる感じでした。
ぼくが今抱えている悩みも、
会社のことも、回復のことも、
そのスケールの前ではだいぶ小さく見えます。
ぼくが死んだあとも、
この木はまだ生きているかもしれない。
そう思うと、
自分の悩みを大きくしすぎなくてもいいのかもしれない。
そんなふうにも思えました。
でも同時に、
小さいなりに、自分にも積み重ねてきた時間はあります。
3000年に比べたら、
一瞬です。
それでも、
46年は46年です。
ちゃんと生きて、
ちゃんと積み重なってきたものがある。
今日はそれも少し感じました。
会社員として働いてきた時間もありました。
うまくいった時期もあれば、
そうではなかった時期もあります。
でも、その全部がなければ、
今ここで屋久杉を見上げている自分もいなかったのだと思います。
倒れなかった木だけではなく、積み重なり直している森にも惹かれました
森の中では、
ずっと同じ木がそのまま立ち続けているだけではありませんでした。
倒れた木がある。
その上にまた芽が出る。
少しずつ別の形で積み重なっていく。
そういう流れが、
森の中にたくさんありました。
それがすごく印象に残りました。
まっすぐ倒れずに生き続けることにも価値があります。
でも、いったん折れたり、倒れたりしたあとに、
また別の形で積み重なっていくことにも、ちゃんと価値がある。
ぼくには、そう見えました。
回復も、
そんなものなのかもしれません。
白谷に行けなくても、今日という日はちゃんと残りました
今日は、もともとの予定どおりではありませんでした。
白谷にも行けませんでしたし、
頭の中が未来に引っ張られる時間もありました。
でも、そこで終わりではありませんでした。
深呼吸をして、
今に戻ろうとしたら、
景色はまた少し入ってきました。
予定外だったヤクスギランドも、
思っていた以上に良い時間になりました。
そして、
長い時間を生きる木の前で、
自分の46年を少し違う目で見られた気もしています。
思い通りにいかない日でも、
その日がだめになるとは限りません。
100点ではなくても、
80点くらいの一日にはできるのかもしれません。
少なくとも今日は、
ぼくはそういう一日を過ごせた気がしています。
もし最近、
「思いどおりではなかったけれど、悪くなかった日」があれば、
よければコメントで教えてください。
行けなかった場所より、行けた場所が残った日。
思いどおりではなかったけれど、十分やれたと思えた日。
そんな小さな一日でも大丈夫です。
屋久島の話は、もう少し続きます。








まさに異世界のような、不思議で素敵な世界ですね!🥰
無事着けたんですね~🎶🩵